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Kuroshio 162

相模タブノキ紀行

●関東平野の洪積台地から相模湾に流れ出す河川のひとつが引地川である。神奈川県大和市の泉の森公園にある湧水を源流として、藤沢市の湘南海岸から相模湾に注ぐ、全長二一・三キロの川である。上流の川縁には千本桜の並木と遊歩道が整備され、中流部には今も水田地帯が残る。下流ではウナギの稚魚(シラス)が獲れる。古代には河川が交通の要路であった証拠に、川沿いに点点と古社が残る。小田急江ノ島線の桜ヶ丘の駅を下車して、引地川沿いに歩くと右岸に田中八幡宮がある。新道下、善光明、札の辻、代官庭という近隣集落の鎮守で、代官庭の田畝の中に鎮座したので、田中神社と呼ばれる。ご祭神は応神天皇だ。そもそも、八幡神社が、源氏が八幡神、応神天皇、百済崑支王を祀った社であるとすると、田中神社も、開拓民が波涛を越えて、引地川を遡って辿り着いた地点を記念する故地であると想像することは、これまで訪れた、霞ヶ浦の高浜神社の近くの台地の崖や、品川の鹿島神社近くの台地の崖にみられるように、引地川の段丘にも古くからの墓地が残ることから、上陸地として納得できる推論である。桜ヶ丘駅の隣駅の名称が高座渋谷駅であるが、相模国の高座郡の東側の中心地であったからである。高座郡の西部の海老名には国分寺があったし、寒川には一の宮として寒川神社が建立されている。引地川と、富士山麓山中湖を源流とする大河の相模川の豊饒の流域が高座郡となったから、相模国の中心として発展した。神社の密集地帯である。当初の高倉郡から後に高座郡に名称が変わっているが、高倉郡は高句麗を表す「高倉」の地名から採用されている。クラとは崖である。ちなみに、武蔵国の新座郡は、新羅人が中心になって郡が置かれたから新の字がついて、当初は新羅郡、「にいくら」としたことは、高座の場合も同様である。藤沢市に高倉という地名の町域が今もある。

●田中八幡宮の背後の河岸の段丘の上の私有地にタブノキの巨木が屹立している。樹高一七㍍、幹廻り三・七八㍍、樹齢約五〇〇年であり、大和市の重要文化財・天然記念物に指定されているとの標識がある。桜が丘駅から歩いて約半時間の距離である。高座渋谷駅からも同じような距離にある。地番は、「大和市代官一ー十九ー七」である。自然な枝振りで、枝も剪定されずに繁茂して、側道に垂れ下がっているほどだ。枝葉を観察するには、最適の木であり、名木と呼ばれるにふさわしいたたずまいである。坂を下ると、鬼子母神の御堂があり、神社ではないから柏手をうって参拝してはいけないと張紙がされていたが、日蓮宗の信徒の多い土地柄にもなっているのだろうか、田中神社にもお寺の影響があり、神仏混淆の気配が強いとの記述があるのは、土地柄がそのせいかと想像した。

●高座渋谷駅の駅前のビルの五階にはスーパー銭湯があって、夏の散歩の後に汗を流したいところだが、鎌倉に急いで向かうことにして、片瀬江ノ島行きの電車に乗った。鎌倉に行くためには、藤沢で江ノ電に乗り換えるのが便利であるが、終点まで小田急線に乗ったから、小田急線の終点から江ノ電の江ノ島駅までかなりの距離を歩くはめになった。江ノ電の長谷駅で下車して、線路にそって極楽寺方向に戻るようにして歩くと御霊神社がある。御霊神社には樹齢三五〇年。高さ約二〇㍍、幹の回り四㍍のタブノキが社務所の隣に聳えている。御霊神社の近くの長谷寺にもタブノキがある。鎌倉の長谷寺は、奈良の長谷寺の開基を招請したと伝えられ、本尊は奈良の長谷寺と同じく、十一面観音像である。タブノキは山門の左側にあり、大きなコブの幹があるが、枝葉は短く奇麗に選定されている。根元の近くには、若い芽がもやしのように生えて来ていた。寺域の中にもタブノキがあるかどうか、寺守の婦人に聞いてみると、境内入口の左隣にもう一本、タブノキがあるという。紫陽花寺として有名であるから三〇〇円也の拝観料を支払うと、確かに「椨の木」と札のついた木が寺務所の脇にすぐ見つかった。本堂からの帰りの坂道の出口の崖にある樹木もタブノキではないかと思ったが、逆光で判別できなかった。

●長谷寺から歩いて五分の甘縄神明宮にはタブノキが繁茂している。祭神は天照大神で、行基が草創し、豪族の染屋時忠が建立した、鎌倉で一番古い神社だという。長谷の集落の鎮守で、公会堂があり、神輿が二基保存されている。甘縄の「甘」は海女で、「縄」は漁をする時の縄だろうとの説があり、源頼義が祈願をして義家が生まれたと伝えられ、後に義家が社殿を修復し、源頼朝も社殿を修理し、荒垣や鳥居を建てたといわれる。北条政子や実朝も参詣したと伝えられ、石段の下には、「北条時宗公産湯の井」がある。近くに作家の川端康成の旧宅があり、小説「山の音」に登場する神社がこの甘縄神明宮だとのことだ。御霊神社、長谷寺、尼縄神明宮のそれぞれのタブノキは、相模の国の海岸段丘の崖に黒潮の民が手ずから植えたのだ。神明宮の高さが昔の津波の波頭が到達した高さを今に伝えているのではないかと想像することしきりであった。(つづく)

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