構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

« Kuroshio 165 | トップページ | Impeachment »

Kuroshio 166

名寄高師小僧と鈴石

●北海道の旭川を往訪した。北海道には、台風と梅雨はないと考えていたが、今夏は立て続けに台風が上陸している。八月の夏の終わりの土曜日に羽田を出発して、一泊ではもったいないので二泊することにして、月曜の午後には帰京する予定を組んだ。台風の接近で月曜夕方から欠航になる可能性があったから、午前中の便に急遽変更して難を免れた。台風は予想通りに翌日北海道に上陸した。内陸の名寄や富良野辺りはもともと低湿地の盆地で、開拓時代以来、土を入れ替えて水を抜く作業を続けて来たというテレビ番組を見たばかりだったが、台風が上陸してジャガイモ畑が水浸しになり、芋は一昼夜で腐ってしまった。予想しなかった台風の来襲で大被害を出した。一方で、稲作が天塩川の流域の名寄盆地で可能になって来ている。稲作の北限はじわじわと拡大している。地球温暖化が喧伝されているが、縄文時代の海進の時代に戻っているだけだとの見方もある。
●旭川は屯田兵が開拓した町だ。薩摩の黒田清隆が初代の開拓史を務めた場所だ。酒の勢いで妻を殴り殺したのではないかとの疑惑があり、大久保利通の庇護で助かっているが、開拓使官有物払下げ事件にも関与した人物であり、不平等条約の交渉にも失敗して、何と条約改正案に反対した井上馨への鬱積から、酒に酔って井上邸内に忍び込むという珍事件を起こしたほどの直情短気な怪人である。征韓論をめぐって、西郷南洲とも対立したとされる。旭川の資料館の黒田についての記述は人物論としては省略され、むしろ大蔵喜八郎の鉄道敷設事業等のインフラ整備事業を特別に慫慂する説明となっている。北海道道庁となってからの払い下げ事件の展示は、むしろ肯定的に捉えているらしいのだが、民営化という私物化の収奪が北海道開拓の過程で大ぴらに実行されたことは、近年の構造改革論という収奪と破壊政策と同質同根にあると指摘されて然るべきだ。
●石狩国と天塩国の国境にあるから塩狩峠である。『塩狩峠』は三浦綾子による小説およびそれを原作とする映画の題名である。塩狩峠で発生した鉄道事故の実話を元に、三浦綾子氏が日本基督教団の月刊雑誌『信徒の友』に小説を掲載した。塩狩峠にある駅近くに、塩狩峠記念館および文学碑が建てられている。今年平成二八年は『塩狩峠』が書かれて五〇年になり、三七〇万部が読まれている。新潮文庫の三浦綾子『塩狩峠』は税込で七六七円である。
「結納のため、札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車は塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れて暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた……。明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らを犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、生きることの意味を問う長編小説」と紹介している。塩狩峠の記念館には、三浦綾子氏の旧宅と教会堂の一部が移築されている。三浦綾子氏を支えた夫の三浦光世氏が残した流麗な書で、「全世界をもうくといえども己が生命を損せば何の益かあらん 春水」と揮毫して掛軸になっているのが深い印象を与える。駅のプラットホームには雑草が生い茂り、鉄道会社の経営の悪さが判る。長野政雄殉職碑は駅近くにある。
 宗教宣伝の匂いがするとして嫌悪する向きもある小説だが、福島第一原発の暴走を停めた東京電力の吉田所長以下の現場の人士や、樺太真岡郵便局の電話交換手のように、人命を救うために自分の命を投げ出すという英雄的な行為が現実に起きることを確認する場所としては、塩狩峠は実に美しい場所である。かつて、旭川には大日本帝国陸軍第七師団が置かれ、北辺の守りを担う重要師団として「北鎮部隊」と呼ばれていた。第七師団は日露戦争では旅順攻略戦と奉天会戦に参戦し勝利しているが、先の戦争では北辺の守りに専念従事すべき師団から一木支隊を編成、ミッドウェイやガダルカナル島という南冥の地にまで派遣せざるを得ない戦況にあった。北方専門の山下奉文がマレー半島攻略戦により英国植民地帝国の終焉をもたらした勲功を称えられる間もなくフィリピンに転戦させられ、マニラでの戦勝国による報復裁判で絞首刑となったのは無念である。
●旭川から名寄の北国博物館に行って名寄高師小僧を見た。国指定の天然記念物である。愛知県豊橋の高師ヶ原台地で産出するからその名がついているが、褐鉄鉱に近い湖沼鉄である。アイヌはトイチイとかカ二トイと呼んで、嘔吐下痢症の薬としても用いたと言う。要は、たたら製鉄以前に蝦夷地で鉄が湖沼鉄から生産されていたことを今回の北海道行で確認した。北国博物館には名寄鈴石も展示されている。中空になっていて、振ると音がするから鈴石で、岐阜や奈良にも産する。北海道産の褐鉄鉱の固まりが名寄鈴石である。それぞれの標本が箱に収めてあり、手に取ってみることもできる。黒潮の民は、縄文海進の川辺や沖積地に生い茂る蘆葦の原の湖沼鉄を原料に鉄を生産したのだ。列島の鉄は陸封文明が祖ではないとの歴史の重みをずしりと掌に感じる旅になった。  (つづく)

« Kuroshio 165 | トップページ | Impeachment »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Kuroshio 166:

« Kuroshio 165 | トップページ | Impeachment »

2022年2月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28          

興味深いリンク