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Kuroshio 165

「府馬の大楠」というタブノキ

●浜松町の貿易センタービルの一階に、房総半島の各方面に向かう高速バスのターミナルがある。「府(ふ)馬(ま)の大楠」というタブノキの巨木を見るために早起きして、銚子行きの高速バスに乗った。酒々井(しすい)のアウトレットに寄り、利根川の堤防に出て、神崎(こうざき)の道の駅に停車、利根川から香取神宮へ参拝する入口である津宮(つのみや)に寄り、筆者は、小見川(おみがわ)で降りた。鉄道の駅とバスの停留所は離れており、成田線の小見川駅まで歩いてタクシーを拾った。府馬までは歩くと一時間半はかかる。日頃は自分の足で歩くのだが、初めての土地でもあり、かんかん照りの真夏日だったから、往路は楽をすることにした。メーターが二千円を超える遠距離だったから、タクシーに乗って正解だった。府馬は、標高四〇メートルの台地の北端の小高い丘の上の集落で、天然記念物の標識と共に、根元に注連縄が張られた巨木が宇賀神社の神木として鎮座している。千葉県香取市府馬2395番地の宇賀神社には小さな社殿があり、その前に、訪問者の名前を記帳する台や説明書などが置いてある小屋がある。宇賀神社は宝亀四年(七三三)宇氣母知神を勧請したことに始まるとされる。地図で見ると、宇賀神社のある府馬は、香取神宮の真南に位置する。「大楠」が大正一五年一○月二◯日に国の天然記念物に指定されたとする碑には「府馬之大楠」と刻まれ、「山ノ堆の大楠」とも呼ばれてきたのだが、実は日本有数のタブノキの巨樹である。なにゆえにクスノキと間違えたのかは判らないが、近くの香取郡神崎の神崎神社に大楠があり、もともとタブノキはイヌクスと呼ぶ地方もあるので、同じ楠として区別をつけなかったのだろうか。それが、昭和四四年に至って、本田正次博士による調査により、クスノキではなく、タブノキであると確定している。樹高約一六メートル、幹周約一五メートル、根周は何と約二八メートルにもなり、樹齢は一三○○年とも一五○○年ともいわれている。北側には、小グスと呼ばれているタブノキがあるが、元は「大楠」の枝が地上に垂れ根を張って成長したもので、元々は繫がっていた。その証拠に、江戸時代後期の「下総名勝図絵」(宮負定雄・川名登編、国書刊行会 一九八○年)に大楠の図があって、大小の「楠」の枝が繫がって描かれている。平成二五年の台風第二六号で大きな被害を受け、香取市が本体幹の治療などを施して、倒れた太い枝も移植して保存している。「大楠」の北西部は整備されて公園となっており、展望台もある。展望台からは『麻績千丈ヶ谷』とよばれる谷津(やつ)を眺めることができる。大地の間に枝のように入り組んだ細長い地形の低地を谷津というが、海水面が今より十二メートルは上昇していた縄文海進の時代には、その谷津が海であったことが想像できる。近くの大地の集落である、田部の沖、竹ノ内、小見、高野の各集落を島になぞらえ、『陸の松島』と呼んでいることにも納得がいく。帰りは、小見川駅まで一時間半の距離を歩いたが、「大楠」のある台地は、遠望すると水平線の上に出た島影のように見えた。利根川堤防から地平線が見えたかと知人に聞かれたが、なるほど、関東平野は、海が徐々に干上がり淡水湖の霞ヶ浦とともに大平原を成したことが分かる。

●麻績と書いて、「おみ」と訓むことは筆者には新発見だった。長野県の筑摩郡の奥に、麻績村という美しい村が今もあることも知った。府馬の大楠を観察するために高速バスを下車した小見川(おみがわ)の小見は麻績と同じ訓である。霞ヶ浦航空隊跡地に建てられた記念館を訪ねた際に、麻生町があったことを覚えていたが、その麻生町は茨城県
行方市の一部となり、府馬のある香取市の霞ヶ浦の対岸に位置する。府馬の高台から望む麻績千丈ヶ谷の名も、麻との関係を証明しているから、この一帯が麻織物の一大生産地であったことを想像させる。辞書には「おみ【麻績】〔「おうみ(麻績)」の転〕青麻(あおそ)を績むこと。また,それをする人」と解説し、「打麻(うつそ)やし麻績の子らあり衣の宝の子らが」と万葉長歌を引く。『延喜式』伊勢神宮神衣祭の項に「右和妙(にぎたえ)の衣は服部氏、荒衣(あらたえ)衣は麻績(おうみ)氏。各自潔斎して、祭日一日より始めて織り造り、十四日に至りて祭に供ふ」とあるから、近辺の麻績の谷津の村々では、香取や鹿島の神宮に献上する荒衣が紡ぎ織られていたことは間違いあるまい。

●香取市の周辺に大古墳群が散在する。国道沿いにバスの窓からも前方後円墳が眺められた。利根川南岸の自然堤防上に分布する古墳群には、前方後円墳が五基、円墳が六基あるという。江戸時代以前は、香取神宮の前に広がる内海は香取海(かとりのうみ)と呼ばれ、関東平野の東部に湾入して下総と常陸の国境に存在し、鬼怒川等が注いでいた。内海、流海、浪逆海(なさかのうみ)などの名があり、鬼怒川が注ぐ湾入部は榎浦と呼ばれ、黒潮の海民の住む浮嶋もあった。神栖神社の巨樹が元は砂地に植樹されたことは書いた。大化の改新の後、匝瑳(そうさ)郡の一部を香取郡とし、香取神宮の神主は大中臣氏(おおなかとみうじ)が務め、奈良の春日大社には、鹿島の武甕槌(たけみかづち)大神と香取の経津主神(ふつぬしのかみ)が勧請されており、藤原氏と深い関係のあることを想像させるのだ。(つづく)

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