大隅半島紀行 4
●佐多岬への道路は、山が海に迫り、コンクリートの庇がついた巾の狭い道路が延々と続き、改良工事中の所も多かった。佐多岬の太平洋側の大泊にある小中学校は閉校になっていた。ホテルの従業員は、民間委託の経営がまもなく解消されて元の町営に戻るらしく、「ここは猿と老人ばかりばかりだ」との捨て台詞で、ホテルの屋上階にある浴場も眺望は絶景であったが、温度管理が杜撰ですっかり人心が荒(すさ)んでいるように思われた。もうひとりの従業員は、片道一時間半も運転して通勤していると初見の客に愚痴る程だから、立派な建物で壁に掛かる油絵も相当の水準の宿泊施設であるだけに、心が傷むことだった。北海道の宗谷岬から自転車を漕いでくる若者が結構いるらしく、達成感を誇らしげに記録した記念の旗や幕がいくつも掲げられているのは救いだった。ホテルから佐多岬への道は山越えの道があり、台風で通行困難になっていると表示していたが、ホテルの従業員は、町役場から連絡がないので知らないとの無愛想であった。迂回路を通って佐多岬の先端の灯台を目指した。展望台が新築中で、辺りの駐車場に車を停めて徒歩になった。叢林の中にある御崎神社を過ぎ、両側が絶壁の尾根道を歩き、あと少しで灯台に辿り着くところで、通行禁止となった。
●風は、太平洋側から、東から西に吹いて、太平洋側にはうねりが残り白波が見え、貨物船がピッチングを繰り返していた。岬の西側の錦江湾側は、海が静かで、漁船が全速力で白波を蹴立てて、山川か枕崎への帰港を急いでいた。尾根道の、風が落ちた側の絶壁に無数の蜻蛉(トンボ)が乱舞する光景をみたのはその時である。ユスリカが霞のようになって川面を覆う光景は珍しくないが、視界を遮るほどの、無数の数の蜻蛉が滑空しながら風に乗って飛ぶのを見たのは初めての不思議な光景であった。その蜻蛉は薄翅黄(うすばき)トンボではないかとの指摘が茨城県の方からあって、調べてみると、日本だけではなく世界の熱帯亜熱帯に生息していて、毎年毎年、熱帯・亜熱帯から日本列島に大移動をしてくるとのことで、北は、カムチャッカでも目撃されているとのことである。驚異的な繁殖力があり、たった一ヶ月で卵から成虫になることで、移動途中に世代交代を繰り返しているとのことだ。しかも渡り鳥のように、日本列島に渡ってきても、寒い冬を避けて南の故地にもどることはなく、「ただ死ぬ為だけに北へ北へと飛行する不思議なトンボである。」とのことだ。佐多岬の突端近くで見た蜻蛉の翅の色は、鮮やかなあかね色ではなく、むしろ直衣直垂の鈍い緑色に近かったから、まずは赤とんぼではなく、薄翅黄トンボに間違いないようだ。記紀に秋津島というが、トンボの形からくるのではなく、南方から飛来するトンボが無数に生息する、大日本の列島の連なりだから、大八洲を秋津島と呼んだのではないかと新説?を提案したい気分になった。ホテルの近辺の山あいの空を、サシバのつがいが我が物顔でくるくる舞っていた。佐多岬は、南からの渡り鳥が初めて翅を休める岬だ。冬を凌ぐためにこれから南方に飛び立つ鳥にとっては、最後のえさ場でもあろう。佐多岬の森は、蜻蛉にとっても、渡り鳥のサシバにとっても、海を渡る蝶のアサギマダラにとっても、豊饒の森である。
●佐多岬の御崎神社には由来がある。慶長一四年(一六◯九)、琉球出兵の時に、薩摩の総大将樺山権左衛門久高が渡海の前に祈願し、後に琉球国鎮護として、和銅元年三月三日に神託があり同年六月に創建された御崎三所権現を、火尾集落から遷して再建したとのことだ。周辺に繁茂する蘇鉄は、琉球から持ち帰ったものである。御崎神社は、約二十キロ離れた近津宮神社と姉妹の関係があり、二月の例祭には、神輿は田尻、大泊、外之浦、間泊、竹之浦、古里、坂元の大隅半島の七浦を巡幸するという。ちなみに、台湾の初代総督になった樺山資紀は、樺山久高の血族ではないが、樺山家を相続した人物であり、戦後占領政治の中で活躍した白洲次郎夫人の白洲正子は、長男で貴族院議員であった樺山愛輔の次女だ。琉球征伐と台湾出兵とが、どこか見えない赤糸で繋がっているようだ。
●ホテルで休憩した後、沈む夕日を眺める為に、錦江湾側にある島泊の集落に車を走らせた。漁港は、高い高いコンクリートの堤防が作られて、その堤防の壁の向こうには、テトラポットが積み上げられていた。鉄の梯子がかけられていたから、高所恐怖症気味であっても何とかよじ登れた。開聞岳が夕日の中に、薩摩富士のシルエットを描いた。水平線に、硫黄島などの三島が薄い島影を見せていた。水平線にはまだ厚い黒雲があったせいか、沈む夕日に光芒を放つ威勢はなかった。眈々と日が暮れた。港に釣り船が帰ってきて、漁師は何匹かの魚を岸壁にほおり投げた。夕闇迫る海岸線の奥の、昔は分限者が住んでいた瓦屋根の家に電灯が灯った。人が住んでいることは間違いないのだが、老婆をひとり見かけただけで、犬猫の気配すらなかった。大泊のホテルに帰って夕食をとったが、大阪から来た観光客夫婦ひと組と当方二人が寂しく宿泊していた。(つづく)
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