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2017年2月

Kuroshio 175

薩摩と大隅の違い

●霧島市に郷土研究会があって、「曽の隼人」を平成二五年に出版している。大隅国一、三○○年を迎えて、と副題がついている。その十五ページに南九州の古墳分布図が掲載されている。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館、特別展示図録「隼人」1992を一部改変した図表だ。南九州の熊本県側には、地下式板石積石室墓があり、宮崎県南部から大隅半島にかけては地下式横穴墓があり、熊本。鹿児島、宮崎の三県の境にあり、霧島山塊の麓の、えびの市や小林市あたりで混在している。
薩摩半島の川内川の南と、錦江湾沿いには、指宿と山川の遺跡を除いては、石室墓は見当たらない。薩摩と大隅との間に微妙な葬制の違いがあり、石室墓がそもそもない隼人を加えると三類型になる。霧島市は、鹿児島気象台の天気予報では、薩摩地方に分類され、醸造酢で有名な福山町も薩摩地方となっているが、誤りだ。大隅地方とするか、せめて錦江湾の奧、湾奧地方とでも名付けるべきだ。肥薩線に、大隅横川駅の名が残り、大隅国の版図は明確だ。山ヶ野金山が薩摩国と大隅国の大隅側の国境の町であったことはよく知られている。国分の亀の甲遺跡は大隅国司の墓で、鉄製の大刀が六本発見されている。鹿児島神宮は、国分平野の西側にあり、東側には、韓国宇豆峯神社があり、この二社を二等辺三角形とする頂点に、霧島連山の韓国岳が聳えている。続日本紀によれば、豊前国から、半島出自の渡来人を移住させたとある。大和朝廷は、隼人の統治の困難を移民で補ったかのようである。分布図を眺めていると、亀ノ甲遺跡は、霧島連山のひとつ、天孫降臨のあった高千穂峰を真北にして背負うかのように築造されている。分布図の西端にある甑島にも古墳時代の高塚や石室墓はない。海民である隼人の文化の圏内にある。下甑島にある和田家が大隅半島の和田家に繋がりがあるとの話を最近耳にしたが、柳田國男を大隅半島の旅へと誘って案内したのが、垂水出身の洋画家の和田英作で、錦江湾沿いの土地の垂水、柊原遺跡や佐多岬と甑島との距離感が一挙に縮まることを感じた。
●柳田國男は大正八年に貴族院書記官長の官職を退いている(昭和二一年七月十二日から、新憲法が発布される前日の翌年の五月二日まで枢密顧問官を務めている)。上司である徳川家達貴族院議長との軋轢が原因とされるが、柳田は折口信夫に対してもそうであったが、男色の気を激しく嫌い、議長の鶏姦癖を咎めたとの説もある。翌大正九年に朝日新聞社に入社して、日本全国の旅を始めている。同年八月から九月の東北への旅は、「雪国の春」という紀行文になった。十二月からは九州、奄美、沖縄への三ヶ月の旅に出発して、後に「海南小記」として出版している。十二月二九日は鹿児島の明治館に宿泊していた。正月を佐多岬に行って迎えると、東京の家族に葉書をしたためている。志布志を出て、大隅半島の錦江湾側の高須から船で鹿児島に渡り、そこから大隅半島に引き返して大根占から陸路佐多岬に向かっている。佐多岬の田尻という集落で大正十年の正月を迎え、「海南小記」には次のように書いている。田尻の除夜は波の音ばかりであった。戸を立てぬ縁側から月がさして、障子の紙が震えるほどの微風が吹く。時計を見ると、今まさに歳が替ろうとしていた。その後、柳田は鹿児島から奄美・沖縄に渡った。帰京したのは、大正十年の三月で、五月初旬には、新渡戸稲造の推輓を得て、国際連盟委任統治委員としてスイスに赴く。柳田の奄美・沖縄熱に啓発されて、折口信夫が沖縄に単身渡ったのが、その年の十月だった。娘の堀三千は、「父との散歩」(人文書院、一九八○)に、柳田の奄美・沖縄熱について、「八重山」という美しいひびきを、私たちは幼い頃から耳にしていた。南の島、遙かな美しいところとして、印象づけられていたのである、と表現する。
●前掲の古墳分布図の空白部分の南に、南北千二百キロにも及ぶ「美しいところ」がある。南西諸島は、奄美・沖縄を中部として、種子・屋久とトカラ列島からなる北部、宮古・八重山、与那国や尖閣からなる南部の三つのまとまりに大別される。隼人と南の島の習俗は産土など多く共通する。奄美や沖縄では最近まで、再葬、つまり洗骨の儀礼が残っていたが、仏教伝来以前にも、小さな人骨を装身具などと一緒に焼く習俗が既に存在しており、隼人の世界と共通する。火葬が八世紀からの外国仏教僧による葬礼だけではないことを、特段指摘しておきたい。(つづく)

Kuroshio 174

大隅半島ーー山と海とが出会う土地

●宮崎県北郷町にある潮嶽神社は、海幸彦が祀られた社である。弟の山幸彦が起こした大波に呑まれて負け戦となり、磐船に乗って流れ着いたのが潮嶽とされる。山幸彦を祀る大社が鹿児島県霧島市にある鹿児島神宮である。山幸彦の霊力は、綿津見の神の宮で授かった潮盈珠(しおみつたま)と潮乾珠(しおひるたま)によるとされる。山幸彦と豊玉姫の間に生まれたのが、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)であり、神武天皇の父となる。隼人の祖である兄の海幸彦が、后を海神の娘とし霊力の源泉を珠とした弟の山幸彦に服属することになる物語は、スタインベックの名作「エデンの東」、あるいはカインとアベルの兄弟の相克の聖書物語にも似ている。後に大和朝廷をなす勢力が、東の蝦夷に対する西の辺境の隼人族を平定したことを示す物語として読むことができ、隼人は、御所の番人を務め、大嘗祭などの大祭においては隼人舞を奏し、宮中祭祀などでは、祓いの呪力として「隼人の吠声(はいせい)」が行なわれ、今に伝わっている。海人の隼人が狼の化身になったような唸り声を出すのは、山人の魂が海人に乗り移ることを示している。大隅半島を佐多岬から北上して、錦江湾が世界的な真珠の大産地だったとの想像を強くしたが、日向から大和に向かわせた力の源泉が、錦江湾からの真珠採集だった可能性はないだろうか。
●日豊本線の隼人駅前に、平城宮址の井戸塀に用いられていて発掘された十六枚の板に描かれた逆S字型の渦巻き模様をデザインした旗がはためいていた。しかし、隼人駅から歩ける距離にある鹿児島神宮は、隼人族の社ではない。同じ隼人町に、海幸彦つまり火照命(古事記)・火闌降命(日本書紀)を祭神とする鑰島(かぎしま)神社があることを、大隅半島の旅から帰って来て、戸矢学『縄文の神』(河出書房新社)で知った。「鑰島神社は兄神を祀っているので、こちらが上位となり、鑰島こそは鹿児島の語源であると私は考えている。そして、『鑰』の由来は釣り鉤を納めたことに拠ったのではないかと」と書いている(同書一七○頁)。また、海幸彦を祭神とする神社は全国に一一三余社あるが、東北と関東には、それぞれ二社のみで、ほとんどが中部以西の海岸に鎮座することを指摘して、隼人が海民であることを結論づけている。筆者は、どこかで幻の黒豚「鹿籠(かご)豚」のことを書いて、同時に薩摩半島にあるカゴの地名が豊富な金属資源と関係があるのではないかと推論したが(薩摩半島は世界有数の金の生産地である)、山幸彦が海幸彦から借りて失った釣り鉤は、代わりに佩刀を潰して作ったがそれでも受けいられなかったとの筋立ては、それまで動物の骨や、稀には人骨でできた釣り鉤が金属製に変わるという漁業技術の進化と伝搬を示している物語であろう。
●大隅半島の錦江湾側には貝塚があるが、古墳がないのが特徴である。大隅国の国府が置かれていた国分平野にもない。薩摩半島の川内川の中流域になる、薩摩川内市には古墳がいくつかあるが、そこから南の薩摩半島にはない。錦江湾の奥の火山灰台地上には上野原遺跡があるから、縄文・弥生の時代を通じて人間の生活があったことは間違いないが、古墳が見当たらないのは、海民である隼人は、死者を土に戻すだけの葬制だったことが想像される。畑作や漁撈を中心にしてコメを作る社会構造がなかったから、隼人は墓の大小で権力や身分を示す必要がなかったのだ。火山灰の酸性土壌のせいで遺体は溶けてなくなってしまう。沖縄本島でみられる亀甲墓は、大陸の福建辺りから伝わってきたもので新しい歴史だ。風葬の方が断然歴史が古いから、大隅半島の錦江湾側と薩摩半島南部に、黒潮の民である隼人が居住していたから古墳はないのだ。霧島市に例外的にある亀ノ甲遺跡は、大隅国司の墓だ。隼人の遺跡から土器は出土するが、武器となる刀剣は出ない。
●大隅半島の旅を始めた国分に戻って、車を運転して同道した日高雄一君と別れた。翌朝、草野貝塚から発掘された日本最古の真珠を実見したことは前号に書いた。今回の旅は大隅半島の錦江湾側をなぞって回ったに過ぎず、大隅国の全容は未だ判らない。佐多岬から錦江湾沿いの海幸彦を祖とする隼人の居住地と、大隅半島に巨大な古墳群を築造した山幸彦の末裔の居住地との境界はどこなのか、実地に調べる必要がある。大隅半島の太平洋側の内之浦から辺塚までの海岸線を辿り、また、トンネルが出来た国見山地にも分け入って、明治政府が比定した陵の真偽についても真剣に考えてみたい。来年は明治百五〇年にあたるが、政治権力によって比定された可能性のある神代陵も新たな発見があれば、比定修正も必要となろう。高山桜迫神社の手足をもがれた仁王像を見て、薩摩藩による廃仏毀釈の過酷さを思ったが、仏教伝来時のいわば廃神毀釈についても思いを馳せることになった。逆の視点からの公平を尽くすことも迫られたのだ。囎唹郡の大崎町の大古墳群にも行かなければならない。日向の西都原古墳群も巡って黒潮文明論の想像をいよいよ逞しくしたい。今回の旅行で、大隅半島が、山と海とが出会い鬩ぎ合った土地であることが判った。   (つづく)

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