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Kuroshio 174

大隅半島ーー山と海とが出会う土地

●宮崎県北郷町にある潮嶽神社は、海幸彦が祀られた社である。弟の山幸彦が起こした大波に呑まれて負け戦となり、磐船に乗って流れ着いたのが潮嶽とされる。山幸彦を祀る大社が鹿児島県霧島市にある鹿児島神宮である。山幸彦の霊力は、綿津見の神の宮で授かった潮盈珠(しおみつたま)と潮乾珠(しおひるたま)によるとされる。山幸彦と豊玉姫の間に生まれたのが、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)であり、神武天皇の父となる。隼人の祖である兄の海幸彦が、后を海神の娘とし霊力の源泉を珠とした弟の山幸彦に服属することになる物語は、スタインベックの名作「エデンの東」、あるいはカインとアベルの兄弟の相克の聖書物語にも似ている。後に大和朝廷をなす勢力が、東の蝦夷に対する西の辺境の隼人族を平定したことを示す物語として読むことができ、隼人は、御所の番人を務め、大嘗祭などの大祭においては隼人舞を奏し、宮中祭祀などでは、祓いの呪力として「隼人の吠声(はいせい)」が行なわれ、今に伝わっている。海人の隼人が狼の化身になったような唸り声を出すのは、山人の魂が海人に乗り移ることを示している。大隅半島を佐多岬から北上して、錦江湾が世界的な真珠の大産地だったとの想像を強くしたが、日向から大和に向かわせた力の源泉が、錦江湾からの真珠採集だった可能性はないだろうか。
●日豊本線の隼人駅前に、平城宮址の井戸塀に用いられていて発掘された十六枚の板に描かれた逆S字型の渦巻き模様をデザインした旗がはためいていた。しかし、隼人駅から歩ける距離にある鹿児島神宮は、隼人族の社ではない。同じ隼人町に、海幸彦つまり火照命(古事記)・火闌降命(日本書紀)を祭神とする鑰島(かぎしま)神社があることを、大隅半島の旅から帰って来て、戸矢学『縄文の神』(河出書房新社)で知った。「鑰島神社は兄神を祀っているので、こちらが上位となり、鑰島こそは鹿児島の語源であると私は考えている。そして、『鑰』の由来は釣り鉤を納めたことに拠ったのではないかと」と書いている(同書一七○頁)。また、海幸彦を祭神とする神社は全国に一一三余社あるが、東北と関東には、それぞれ二社のみで、ほとんどが中部以西の海岸に鎮座することを指摘して、隼人が海民であることを結論づけている。筆者は、どこかで幻の黒豚「鹿籠(かご)豚」のことを書いて、同時に薩摩半島にあるカゴの地名が豊富な金属資源と関係があるのではないかと推論したが(薩摩半島は世界有数の金の生産地である)、山幸彦が海幸彦から借りて失った釣り鉤は、代わりに佩刀を潰して作ったがそれでも受けいられなかったとの筋立ては、それまで動物の骨や、稀には人骨でできた釣り鉤が金属製に変わるという漁業技術の進化と伝搬を示している物語であろう。
●大隅半島の錦江湾側には貝塚があるが、古墳がないのが特徴である。大隅国の国府が置かれていた国分平野にもない。薩摩半島の川内川の中流域になる、薩摩川内市には古墳がいくつかあるが、そこから南の薩摩半島にはない。錦江湾の奥の火山灰台地上には上野原遺跡があるから、縄文・弥生の時代を通じて人間の生活があったことは間違いないが、古墳が見当たらないのは、海民である隼人は、死者を土に戻すだけの葬制だったことが想像される。畑作や漁撈を中心にしてコメを作る社会構造がなかったから、隼人は墓の大小で権力や身分を示す必要がなかったのだ。火山灰の酸性土壌のせいで遺体は溶けてなくなってしまう。沖縄本島でみられる亀甲墓は、大陸の福建辺りから伝わってきたもので新しい歴史だ。風葬の方が断然歴史が古いから、大隅半島の錦江湾側と薩摩半島南部に、黒潮の民である隼人が居住していたから古墳はないのだ。霧島市に例外的にある亀ノ甲遺跡は、大隅国司の墓だ。隼人の遺跡から土器は出土するが、武器となる刀剣は出ない。
●大隅半島の旅を始めた国分に戻って、車を運転して同道した日高雄一君と別れた。翌朝、草野貝塚から発掘された日本最古の真珠を実見したことは前号に書いた。今回の旅は大隅半島の錦江湾側をなぞって回ったに過ぎず、大隅国の全容は未だ判らない。佐多岬から錦江湾沿いの海幸彦を祖とする隼人の居住地と、大隅半島に巨大な古墳群を築造した山幸彦の末裔の居住地との境界はどこなのか、実地に調べる必要がある。大隅半島の太平洋側の内之浦から辺塚までの海岸線を辿り、また、トンネルが出来た国見山地にも分け入って、明治政府が比定した陵の真偽についても真剣に考えてみたい。来年は明治百五〇年にあたるが、政治権力によって比定された可能性のある神代陵も新たな発見があれば、比定修正も必要となろう。高山桜迫神社の手足をもがれた仁王像を見て、薩摩藩による廃仏毀釈の過酷さを思ったが、仏教伝来時のいわば廃神毀釈についても思いを馳せることになった。逆の視点からの公平を尽くすことも迫られたのだ。囎唹郡の大崎町の大古墳群にも行かなければならない。日向の西都原古墳群も巡って黒潮文明論の想像をいよいよ逞しくしたい。今回の旅行で、大隅半島が、山と海とが出会い鬩ぎ合った土地であることが判った。   (つづく)

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